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「【死刑制度】 維持すべきか?」結果
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| 犯罪者に人権? (3) 【死刑】制度は継続、執行は慎重に (34) ちょっと別の話 (4) 死刑ほどサッパリした刑は無い (0) 死刑廃止に一票。 (4) 死刑より重い刑罰が必要 (1) |
冤罪、不可抗力、突発的なものは横に置いて・・・・
「他人の命を奪っておいて自分の命は助けてくれ」ですか?
そもそも人権とは誰に守ってもらっているのでしょう?それは社会でしょう。
その社会を故意に破壊したりする人間に果たして人権があるのでしょうか?
成人式での破壊行動、暴走族、学校崩壊、暴力団、犯罪、いじめ・・・・
人権を守ってもらうには、最低でも社会のルールを守る。常識です。
この事の教育は幼少の頃からするべきだと常々思っています。
こと殺人事件については、犯罪者は被害者の「生存権」という基本的人権を失わせています。
一般犯罪での犯罪者の人権という議論はともかくとしても、殺人者には人権を語る権利はないと考えます。
死刑反対論者が人をあやめてしまった人を擁護する事自体が変。。。
考えてみると、昔の「仇討ち」って良い制度だったような気がする。
負の連鎖に陥るだろう事は予測されるが、残された人々にとっては「仇討ち」で本懐を遂げたいような・・・。
敵討ち制度は「敵討ちの敵討ち」は許されていませんでした。
(それをやると殺人罪で斬首)
負の連鎖を抑えようといろいろ工夫してたんですね〜
タイトル一言で済んでしまいそうだけど、私はそう思う。
確かに死刑囚と雖も人命には変わりない。犯罪者と雖も(最低限の)人権はある。軽々しく吊るし首にできるものではない。
とはいえ、それは殺人事件の被害者にも言える。何の落ち度も無いのにいきなり不条理に命を奪われた被害者とその遺族身内友人知人の心中は?その人たちの人権はどうなる?確かに犯人を縛り首にしようと電気椅子に座らせようと斬首台に載せようと毒を仰がせようと、殺された被害者が生き返るわけではないし、残された人々の無念も晴れるわけでもなかろうが、他人様の命を奪ったものはその命を以って償うのもあながち不当とは思えない。
殺人事件・放火事件と雖も、それこそ動機は千差万別であり、場合によっては被害者の日ごろの態度が積年の恨みを買い、加害者が一般常識に照らして怒りを覚えるのも無理は無いと思えるような状況で、更に前非を悔いているなら別であるが、どう考えても極刑以外有り得ないような被告もいる。
元より、警察官も裁判官も検事も弁護士もそして法制度も、所詮は神ならぬ生身の人間であり、その人間が作ったものである。時には誤謬もあろう。死刑囚のはずが冤罪で獄につながれていたと言う事例もある。刑の執行には慎重にも慎重を重ねるべきであることは論を待たない。慎重過ぎて結局執行前に当該死刑囚が獄中死してしまう事もあるが、それはリスクのうちと言うものであろう。
いかにもお役所的な問題先送り的見地のようでもあるが、現状で良いのではないか?と考える。
そんな私の考えは今の時代そぐわないのかも知れないが…
被害者が加害者を憎む気持ちはよく分かるが、その気持ちがいくら強かろうとまた人を殺すなんてことを認めちゃいけない。飽くまで、被害者の周囲は感情的にならずに「死刑執行しても加害者は蘇らない」という論理でいくべき。
再犯の危険は終身刑導入で解消。
日本に死刑に代替できるだけの刑ができない限り死刑は廃止すべきじゃない。
冤罪にだけは細心の注意が必要ではあるけど、基本的に刑罰は厳しくあるべき。
終身刑も含めて、今の刑罰制度の矛盾や不足についてもっと議論してから死刑について考えるべき。
それができないなら復讐制度を認めるべき。
終身になった人間が所内できちんと労働して生活費を稼いでいるというのならそれでもいいかもしれません。ですが、もし税金を投入する必要があるなら死刑にするべき。なぜ犯罪者のために貴重な税金を使わなくてはならないのか。
犯罪者にも人権が……という意見もありますが、他人の人権を踏みにじった時点で人並みの権利を主張するべきではないです。
>他人の人権を踏みにじった時点で人並みの権利を主張するべきではないです。
全く持ってその通り。
他人の人権を傷つけたどころか壊してしまった人間の人権をあそこまで尊重する団体って本当に何なんでしょうね。
例えばアムネスティとかアムネスティとかアムネスティとか。それとあとアムネスティとか、他にはアムネスティとか。
人権原理主義者の主張って勉強不足というか、何も考えない人にとっては非常に耳障りが良くて
それを肯定することで自分は正しいと思わせてしまう綺麗事というか、何と言うか、馬鹿を酔わせる
強い酒みたいな主張なんですよね。
人権って難しいんですよ。誰かの人権は誰かの我慢の上に成立するんですから。
基本的人権というか、生存権(飲食睡眠排便)だけは守ってあげるべきでしょうけどねぇ。
あくまでも刑罰なんですから、それ以外の一般人と同等の権利を主張されても困りますよね。
死刑は絶対廃止してはいけません。
そして通り魔殺人や、確実に物的証拠が挙がっている連続殺人犯などは
判決が出れば一定期間後に自動的に法務大臣は死刑を執行するべきです。
死刑執行までが長すぎます。
逆に少しでも証拠が怪しいもの、本人が無罪を再主張しているもの
などについては万全を期して慎重に行うべきです。
7のMagnum9さんがおっしゃるように、誰かの人権は誰かの我慢の上に成立するという考えに賛同します。
そして死刑囚に相当する殺人者は、相手の基本的人権である生存権を踏みにじったのですから、自分だけ生存権を主張されても相手にする気はありません。
これまでの仕事をしなかった法務大臣が間違いなのです。現法務大臣は、過去の大臣の犯した間違いの尻拭いをする義務があります。
もっとじゃんじゃん執行しなきゃ。
死刑囚を食わせるのだってロハじゃないんだし。
懲役囚なら多少は銭稼いでるけど、死刑囚は働いてないから。
自分の死(=死刑)を恐れることなく、
他人を残虐に殺すような異常な人間が(道徳観や宗教観の異なる外国人も含めて)
現実に少なからずいることを
死刑廃止論者の方々は、もっと重く考えるべきです。
死刑は人が人を殺す残虐な刑罰だと思いますし、死刑に犯罪の抑止力がないとも思いますが、
死刑になることが分かっていていてもなお残虐な犯罪を犯す人間が現実にいること、
従って、終身刑を最高刑とした場合、残虐な犯罪が増えことそすれ、減ることは期待できないこと、
終身刑の間の生活が税でまかなわれることになること
などからすると、死刑が廃止されるべきとは、とても思えません。
また、日本の場合、単なる殺人では死刑とされず、相当な悪質性を伴わない限り死刑とは判決されません。
そうした中で、確定判決である死刑を執行しないことは、
法務大臣の道徳観や宗教観といった個人的な考え方によるもの以外の何者でもなく、
こうした個人的考え方次第で刑罰が執行されたり、されなかったりすることは、
社会正義にてらすと、正しい行いとは考えられません。
死刑の未執行者が90数人もいて、長期間にわたり中途半端な状況にあることは正常ではないと思います。
私は、現状、死刑の存続が必要な社会状況だと思いますし、
その執行も(再審請求中などでない限り)判決に従い行うことが必要だと思います。
なお、私は、死刑の存廃を議論することは、大いに結構なことと思いますが、
死刑の執行をしたことについて批判するようなことがあってはならないと思っています。
>>5
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/facts&figures.html
>他人の人権を踏みにじった時点で人並みの権利を主張するべきではないです。
>人の生命を奪った人は、ご自身の命であがなうのが当然。
加害者が死んだところで被害者や遺族にとって良いことは何も無い。
第3者まで感情的になっちゃいけないと思う。
死刑制度の廃止には反対です。尤もそれに変る有効な制度があれば代えてもいいと思いますが。
個人的には人権という観点から論ずるのは無理があると感じます。被害者・加害者双方に
人権があり、その軽重は考え方によって異なるでしょうし結論が出ない気がします。
ですから飽くまでも抑止力・最後の手段として残すべきだと思います。
12氏へ
>法務大臣の道徳観や宗教観といった個人的な考え方によるもの以外の何者でもなく、
仰るとおりだと思います。
法務大臣個人の見解で刑の執行時期に影響が出ると言うのは、法治国家として致命的な
欠陥ではないでしょうか?「法」の概念から逸脱した行為である事、極端に言えば
「違法行為」とも言えるのではないでしょうか?余り気分がいい事とは思いませんが、
署名を拒む法務大臣は職務放棄を言われても仕方ありませんね。業務の一部である事を
知らずに就任する事など考えられないわけですから。
>死刑の執行をしたことについて批判するようなことがあってはならないと思っています。
これも仰るとおりだと思います。
但しそのような批判があろうとも、(そもそもその批判は的外れなのですが)署名が出来る
人間でなければ法務大臣の職務上、適正が無いと言う事になろうかと思います。
兎に角、法の番人たる法務大臣がその法を軽視し、自身の思想信条により捻じ曲げるような事は
許されるべきことではありません。法の形骸化を招く恐れがある。
>13
> 終身になった人間が所内できちんと労働して生活費を稼いでいるというのならそれでもいいかもしれません。
>ですが、もし税金を投入する必要があるなら死刑にするべき。
>なぜ犯罪者のために貴重な税金を使わなくてはならないのか。
自分はこちらの方を重要視しているのですが、これについてはどうお考えですか?
>>16
同意します。仮出所も認めないべきですね。
>>15
(遅くなってごめんなさい。)
「金がかかるから殺そう」では刑務所逝きの人間全員殺すことになります。
刑務所(牢獄)の存在認めるなら終身刑の囚人も、原則通り1つの命として国が責任持って扱うべきと思います。
人権を全て剥奪したうえでの懲役ウン百年とかが存在するのなら、死刑廃止してもいいな
犯罪を犯しても損害を与えた金額を返す必要もなく、慰謝料なども全く支払われない。
被害者はまた犯罪に遭わないかとおびえて泣き寝入りするしかない状況である。
現在の犯罪をやったものだけが得をする制度がのさばっている状況で、
犯罪を未然に防ぐ手立ては死刑しかないと思う。
個人的には、2回以上同じ種類の犯罪を犯している(逮捕ではない)人間は
更に犯罪を犯す事はほぼ確実だと思うので死刑にするぐらいでちょうどよいと思う。
死刑を維持するなら、冤罪の温床である代用監獄をなくすべし。
死刑が宣告された後、再審で逆転無罪になった事件って、本当にあるんですよ。
冤罪が許されないことなのは、死刑制度の有無にかかわらず、たとえ懲役刑や罰金刑であっても当然の話です。
死刑反対派の方が反対理由に冤罪の可能性を上げるのは理解できますが、それだけならば大阪での宅間死刑囚のように現行犯逮捕で冤罪の可能性がないときには、死刑反対の理由は存在しないということになりますよね。(急に別の理由を考えないでくださいね)
「冤罪の可能性を許すな」というのは死刑賛成・反対というレベルよりもはるかに高いレベルの議論であり、今以上に真剣に考えるべきことと思いますが、「冤罪の可能性もある事件も存在するから死刑には反対」という論理には賛成しかねます。
27さんのように、直接死刑制度の是非ではなく冤罪の可能性をなくすための意見なら拝聴いたしますが。
>27
日本における死刑囚の再審での無罪判決は、
全て「裁判の長期化により証拠の検証が困難になった」事による消極的な無罪判決であり、
無実の証しが立てられたわけでは無い点に留意されたし
>29
これまで冤罪事件というとすべて捜査側が悪いと思っていましたが、なるほどです。
無罪と無実は違うんですね。
私が知っていること。。
再審が行われる条件
(1)有罪の確定判決後に新証拠発見
(2)その結果、有罪判決が疑わしくなった場合
死刑囚が再審により逆転無罪になった事例
・免田事件(1983年)
・財田川事件(1984年)
・松山事件(1984年)
・島田事件(1989年)
例え、99%疑わしくてもそれが100%でない限り死刑は執行されません。
「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」が原則です。
死刑に反対している人っていうのが、大体左翼思想。
要するに、国家権力が民衆を裁くってことが気に食わないんだな。
とにかく国家というもの自体が嫌いだから、国家が民衆に対して強制するようなことは、
それが刑の執行であっても認められないんだろう。
戦後教育に洗脳された可哀想な人たちだな。
やたらと人権を口にする割には、他人の人権を侵害した犯罪者を擁護するってのは
大体がそういう思考パターンだと思われる。
犯罪が起きるのは社会や国家が悪いなどという、訳のわからないことを言ってみたり、
犯人を更正させるべきとか、脳内お花畑の発言をしたりする。
自分が被害者になったときに、同じ発言ができるのか聞いてみたいものだ。
1.再犯の防止 2.被害者への慰撫 3.同様の犯罪抑止
以上の3点から、私は死刑制度には賛成だ。
仇討ち、遺族は無条件で犯人を殺す権利を得る。
仇討権を直ちに確立すべきだと思う。
今日、こんな事件がありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070117-00000109-jij-soci
人権っていったい何?
法は理性的にと言う意見が書かれてましたが、
被害者の感情をも包括して裁くのが法であるべきでしょう。
それこそが正義なのでは?
周りの人間が、悪いことをしてしかるべき罰を受けた。
と解さないと、社会的治安に繋がらないし、
なにより社会的活力を失うことに繋がらないのか?
人権を盾になんと言うことを言うのか?
死刑は制度として保つべきだし、
世界の先進国では中止されている国も多いけど、
そういう団体の運動を許諾するだけの中止なのかもしれないと思う。
何か聞いとかないと、訳のわからないことを騒ぎ出してうるさいから。
死刑という刑罰そのものの是非を問う議論も大いに結構だと思うのですが、皆さんはそれを執行するべき立場にいる
法務大臣の是非についてはどう思われます?
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第四百七十五条
死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2項
前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
**********************
死刑について個人的にどのように思っているのかは自由ですが、法相が批判や思想に反するという理由でこれを
実行しないということがまかり通っています。現に元大臣の杉浦さんは一人も実行しませんでした。
そして、前職がそのようなことをしたので現職の長勢法相が嫌われ役をやったという状況にいます。
これは日の丸君が代訴訟における日教組や堕落教師と何が違うのでしょうか。
悪法も法なり。法治国家にあらずんば、悪法でも法である限り守るのが原則だと思いますが、杉浦さんはじめ、
過去の死刑拒否大臣についてどう思います。それとも、この話題は別に設問トピック立てるべきですかね?
個人的な思想信条によって職務を遂行出来ないのなら、
速やかに職を辞すべき
というか最初から辞退すべき
もしも法務省の一般公務員が「思想信条により、その業務を行いません」などと言ったら、マスコミを筆頭に世間からの大非難は必至で、しかも職場では公務員法違反で何らかの懲戒処分を受けるだろう。
法を守るべき第一人者の法務大臣が法を守らないような政府の国なら、日本は法治国家の看板をおろすべき。
裁判所が判決を下したら即座に執行すべきで、実質政治家が死刑執行の是非を握っている現状は三権分立を犯している。すなわち宗教的観念や国民の人気取りのために社会的必要性を無視して裁量を曲げる自体がおきかねない。
第四百七十五条そのものを改正すべきだ。
>1の意見にまったく賛成だ。
個人的意見でやらなければならない仕事を、堂々と怠けるのもおかしいし、それに処罰を下さないのも
おかしい。そもそも給料を払う必要があったのか?
次の大臣に嫌なことを押し付けて、恥ずかしいとは思わないのだろうか?
矯正させるならさせる、させないならさっさと死刑にしてメリハリをハッキリさせろ。
終身刑などというものでダラダラ生かし続け、その為に税金を投入し続けるこれほどバカらしいことはない。
殺人犯かって生まれたときから「人を殺したいぃ・・!」
なんて思いながら生まれてくるわけではないでしょう。
赤ん坊は生まれてきたときは真っ白なキャンパス。親や周囲の社会がそれに色づけするのですよ。
周りの人間の育て方によって暴力的に染められてしまった人間は人を殺めることでしか
幸福を感じられなかったり、
逆に美しくに染められた人はあなたたちのように社会に適応して幸せを感じながら生きてゆくことができる。
生まれたときは同じなのに、生まれた環境が悪かっただけで社会に適応できず犯罪者になったりする。
そんな不公平で刑務所に入れられて・・、よい心を持った人間に矯正して、
われわれが感じているような社会で生きる喜びを感じることができる人間に
成れるのならそれはすばらしいことですが、殺されてしまうなんて・・。
犯したことの責任云々の話ではないでしょう。責任を取れるのは私たちのようなしっかり教育を受けて、
善悪の判断がつく人間だけです。
18歳になったとたん責任が取れるようになるのですか?
例えば、少し極論ですが、狼に育てられた少女が人を殺めてしまっても責任を取るべきですか?
本人は狩のつもりかもしれませんよ。
そんな不公平許されるはずありません。
人間誰でも生まれたときから私たちと同じ種類の幸せを感じる権利があるべきです。
刑務所は罪を与えるだけではなく、矯正施設であってほしい。
もちろん罪の概念も大切ですが、罪と罰の制度だけでこの多様な人間社会を
コントロールするのはいかがなものでしょう。無理だと思います。
加害者側の人権確保の方法としての矯正。
被害者側の人権確保のため加害者への罰そして罪。
これらが釣り合ってはじめて理想的と呼べませんか?
そこで死刑というのはまさに極刑であって、極限の刑罰です。
数学の概念の「極限」とは、極限にいくら近づいてもかまわないが一致してはいけない。
死刑もそれと同じです。もし死刑となれば、
矯正という加害者の人権のためのシステムがまったく機能しないことになりますよ。
懲役300年はあってもいいと思いますが、死刑は決して許容できないと思います。
被害者や遺族は、復讐を刑法に求めるべきではありません。
私がもしこの世で一番大切な人を殺されたりすれば、加害者にこの手で復讐するかもしれませんし。
(物騒な話ですみませんが、本当にそう思います。)
法律はあくまで加害者被害者両方の人権を尊重すべき。死刑には何があっても反対です。
私も皆さんと同じく凶悪な犯罪者を見て、死刑にすればいいのに!と思うこともありますが、
感情は理性とは別であるべきです。
法律。すなはち、社会を律するもの、に関しては、
あまり感情的にならず、理性を駆使して考えませんか。
日本は死刑より軽く無期懲役などより重い刑罰を設けるべきだと思います。
なお、死刑が抑止力になるかに関してですが、
故宅間守死刑囚の挙動や、故意ではない殺人、一時的な感情の高まりによる殺人、
などを考えれば、あまり抑止力としては機能していないのでは?と、思ってしまいます。
さらに最後に付け足しますが、私は決して被害者の人権を軽視しろといってるのではありません。
また真っ白なキャンパスにつばを吐いた張本人が自分ではないか、
そんなことを他で自分はやってはいないか。
凶悪な事件の報道を聞くたびに批判するだけでなく、そういったことをよく考えて見れば、
日本はもっといい国になるかもしれませんね。
>なお、死刑が抑止力になるかに関してですが、
故宅間守死刑囚の挙動や、故意ではない殺人、一時的な感情の高まりによる殺人、
などを考えれば、あまり抑止力としては機能していないのでは?と、思ってしまいます。
ここについては、新たな殺人者の発生については抑止力が少ないとは思いますが、少なくとも殺人者の再犯による被害の可能性を100%除去できる効果はあります。(大阪の姉妹殺人事件は、当時死刑にさえしておけば起こりえなかった事件です。)抑止力を論ずるときには、全く新たな犯罪の抑止と、再犯によるものとを分けて考える必要があり、どちらかにでも効果があれば、それは評価されるべきでしょう。
聖書に「罪なき者のみ石持て打て」という言葉がありますね。
しかし、死刑(に限らず刑罰)はそういった概念で考えるものではないと思います。
「人が人を裁けるのか」「人が人を殺していいのか」という疑問は一見尤もそうですが、
「人が自らの社会秩序を維持すること」が必要なのであって、
その仕組みとして刑罰(=制裁)があると考えなくてはいけません。
確かに刑罰には、矯正と社会復帰を目的としている部分もありますが、
それが刑罰の主目的ではなく、(犯罪者の矯正も含めて)刑罰は「社会秩序の維持」を目的としていますよね。
(従って、被害者感情をはらすといった復讐の意味と捉えるのも間違いだと思います。)
そう考えると、死刑は、社会として(社会を正常に維持するために)、
その人間の矯正や社会復帰を断念せざるを得ない場合や死を持って償うよりないと認められる場合に
やむを得ず選択するよりない刑罰なのであって、
現実にそれに値する犯罪が起きている以上、必要な刑罰と評価せざるを得ないと私は思います。
死刑(に限らず刑罰一般)は、
加害者の人権とか、宗教観、人間としての感情などといった次元でその存廃を議論すべきものではなく、
社会秩序の維持のための必要性といった観点で議論すべきだと思います。
なお、蛇足ですが、責任能力がある限り(責任能力がなければそもそも罪に問われませんが)、
死刑囚は、捕まれば死刑になるであろう犯罪であることを承知の上で殺人等の凶悪な犯罪を犯した者である訳で、
死刑が不当に思い刑罰と主張するのは、こうした観点からしてもおかしな話だと思います。
人を裁いているのは人ではなく法である
犯罪者を死刑に処すのもまた人ではなく法である
死刑廃止の考え方の方には敬意を表します。ただ、現実として死刑制度はあったほうが良いです。
終身刑と軽く言いますが、凶悪犯のために限られた社会的リソースを無尽蔵に使って欲しくないですね。
こんどはまともな人間に生まれ変わってくれとでも願うほかないです。
犯罪者>死刑
犯罪者両親>死刑
犯罪者兄弟>終身刑
犯罪者親類縁者>無期懲役
死刑になるような犯罪者を作り出した環境から根こそぎ処罰。
行き過ぎた考えかもしれないけれど、最近の犯罪の極悪非道ぶりを
考えると、死刑よりもさらに強烈な刑が必要なのでは?と思うことが
あります。
死刑継続は統計みれば決定として
外国人の犯罪は国外逃亡とかあるので重くすべき
連帯責任にするのもあり