| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「政治家に資格試験を」結果
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||
| トラックバックURL:[http://www.yoronchousa.net/webapp/tb/research/1199/26c8] |
| 掲示板 | 掲示板ガイドライン |
| 政治家批判する前に (15) 本来の「エリート」とは (1) |
政治家は、有権者によって選ばれる。不適切な人が選ばれているなら、有権者に選ぶ能力がないだけ。
この手の政治家批判は、選挙権を(あるいは被選挙権)を持っている自分達自身を省みる視点が欠けているのが、残念です。
有権者にこそ資格試験がいる。老若男女関わらず、公共の福祉とは何なのかを考えず、自分の立場しか考えていない人に、選挙権なぞ与えたくない。
ただ勘違いしている人が多そうなので、付け加えておくならば、自由、民主主義かつ資本主義社会である以上、政治の本質は、金・縁・利権団体主導、これはある意味では当たり前。
だれも、自分や自分の属する集団・組織を知りもしない人(=信頼できない人)に託したくないし、金を稼ぐ・集める能力の無い人間が、富の再分配という政治の本質を分かっているとは、とても思えない。
資本主義社会とは、社会への貢献をお金で計る世界。
お金を稼げる(=社会に貢献できる)能力のある人が、力を持つのはある面では当然。
間接民主主義の本質は、権利の委託という世界。
縁であれ利権であれ何であれ、つながりを持っている人が強いのも、ある意味当たり前でしょう。
その程度が行き過ぎているという論なら、聞く耳を持ちますが、そうでない自分の狭い視野でしか物事を
見ていない上での資格制度の案なら、一笑に付さざるを得ません。
政治家の資格試験は選挙です。
試験問題は一問「最大公約数の賛同を得られる政策および政治理念を述べよ」。
採点者は国民です。
>2
そのような採点をしていない国民がいること、その存在を許していることが
一番問題だと思う。
自業自得。
実際政治を動かしてる連中は官僚
政治屋など紙に書かれた内容を喋るだけの飾りに過ぎない
>>4
それは危険な考え方だと思うよ。
>>1
>有権者にこそ資格試験がいる。老若男女関わらず、公共の福祉とは何なのかを考えず、自分の立場しか考えていない人に、選挙権なぞ与えたくない。
この一文のみ賛成しかねる。
自分の立場しか考えなくてもいい。自分の立場の意見が大多数の場合に政治に反映されるから民主主義が成り立つ。「ある種の正義にそぐわない場合は投票権剥奪」これは全体主義や独裁だと思うが。
悪意の票も、的外れな票も、低俗な票も、感情的な票も、ご老体の票も、すべてひっくるめて「民意」
議会制民主主義においての国民主権は、そういったこと含めて「代議」させることで成立するのだから
投票する国民に投票資格というのはナンセンス。なんの為の代議制なのか。
ただし、議員への立候補において、最低限の知識とお約束は守らせるべく最低限の資格はあっても良い
かもしれないが、その際はあくまで「最低限度」とするべきだと思う。
自分の立場を考えて投票して、問題ないと思います。
ただ、自分のこと(立場)'しか'考えないなら、税金は払う必然性がない、言い換えれば税金という概念が成り立たないのではないでしょうか。
他の立場の人もあり、自身の立場もある。相互扶助の考え方で、立法や公共サービスというのは成り立つものと思います。
ロハスさん・・・貴方は今の資本主義、議会制民主主義などなど、現状の仕組み全てが普遍的なものだとの立場で物を言っている。そうではないでしょう。仕組みに矛盾・歪などが生じれば進化させていかなければならないでしょう。私は法律の後始末をする側は日本で一番過酷な試験を必要とします。しかし、作るほうは無試験です。変でしょう。何も司法試験のようなものを課す必要はなくても、最低限度の常識は政治家にお求められるべきでしょう。有権者側に問題があるという人もいますが、それは尤もな事です。賛成です。しかし、昔のように納税者のみみという訳にはいかないでしょう。大学出身者のみとも行かないでしょう。それなら、候補者を絞って、その中から選べば候補者もお金もどぶ板選挙も軽減され、それこそが公平な被選挙権ではないでしょうか。
>>10
税金と投票権がゴチャゴチャになってるようですが・・・
大切なものや影響の大きいものを取り扱うのに免許が必要なように、
投票権には国の行く末を左右する効力があるので、それを行使する
有権者に教育が必要なのは当然のこと。
義務教育としてある程度の水準のものが必要だと思うが、今の教育
体制だと愚民が増えるばかり。未知の状況に対して合理的に考え、
判断する能力を育てる教育って、皆無に等しいでしょ。
最近、歳のわりにアタマがお子様で、自分のやることに責任の取れな
かったり、やたら感情論に走ったり感情無視の「議論」しかできなかっ
たりバランスの悪いのとか、常識に不安を感じるオトナが増えてきてる。
核家族化などの進行とその不備を補うものが不十分なせいで、社会を安定
させるための常識も薄れてきている。こんな連中に等しく投票権を与えて
いると、国があさっての方角へ行ってしまいそうで、とても不安だ。
変なタレントを公認する政党のほうが問題。
今の段階ではロハス氏に同意。
辻元議員を当選させた有権者がいかなる考えを持って投票したのか、とりあえず知りたい。
知的に優れただけの人間が果たして我々を幸せにするだろうか?
有資格者で云うなら弁護士・・中には宇都宮弁護士の様にヤミ金やサラ金の暴利の実態を暴き貧困に喘ぐ多重債務者を救おうとする優れた人も居るが、多くは「犯罪者の人権」だとか、「国旗、国歌に敬意を表さない公立学校の教員の自由」だとか、云っていることが大多数の国民の利益を反映しているとは到底云いがたい。あと大学教授などで閣僚になった人にも過度のジェンダーフリーの追求など。これもある種の自己満足であって、国民の声を反映して政治に生かす姿勢であるとは云えない。
偏差値エリートが朝日新聞やTBSなどに勤めて中国や朝鮮の内政干渉に迎合し、ある意味国家の転覆を図ろうとしているのと同様、理系のエリート集団が変な宗教に染まって地下鉄で毒ガスを播いた事件も記憶に新しい。
知識に優れただけのものが我々を幸せにするとは限らない。本来の「エリート」とはその持てる知識を国家の為、国民の幸せの為に生かすことのできる人々の事である。少なくとも私はこの役割を官僚や閣僚の周辺に居る補佐官等に要求したい。
政治家は国民の代表として多くの国民の意見をよく聞き、それを忍耐強く国政に生かそうと努力し、国家の繁栄を力強く追究できる人を要求したい。それは知識や資格等といったもので「小さくまとまった」人間ではなく、もっと広い総合力・人間力の様なものが要求される様な気がする。
公にその資格を認められた専門家というものは、その専門知識を社会へ奉ずるよう
求められているのです。専門家一人一人にその自覚が必要です。また、一般人を
超える能力を行使するに当たっては、依頼者からのシビリアンコントロールに服する
べきです。つまり、やる・やらないの最終決定は依頼者に委ねるということです。
国家公務員も公に行政に必要とされる専門能力を認められたものなので、その能力は
組織防衛や利権の確保などではなく、社会に奉ずる心構えで職務に取り組むべきです。
その上に立つ政治家は、選挙によって選ばれた行政権行使の受任者であるので、程度に
差はあれども、一種のシビリアンコントロールに服しなければならないのです。
そのようなコントロールを行うためには、政治家の側に十分な理解力と判断力が必要です。
強引にまとめると、官僚は専門馬鹿でいいが、その分、政治家に常識が必要で、官僚は
政治家にお伺いを立てる形で行政を進めなければならない、と思います。
|
|||
|
政治 経済 社会 時事・ニュース マスコミ 国際 生活一般 芸能 趣味・スポーツ 商品・サービス その他 IT・コンピュータ 生活・ライフスタイル 教育・学び 仕事・マネー エンターテイメント 恋愛・結婚・人間関係 趣味 スポーツ 選挙 リサッチ! Puble.me |
|||
| [PR] みんなのFX | Webシステム開発 | Webサイト制作 | Webサイト構築 | Webコンサルティング | Web戦略 | |||
| [PR] SEO | 屋形船 | 株式市場 | デイトレ | レーシック | レーシック | 発毛 | 抜け毛 | |||