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「悪行を認めることを拒絶する感情はいつの世も存在しますが、とりわけ1990年代のバブル崩壊以降は、独自の文化を無理やり主張することが、一つの流れとなっているように思えます」
☆慰安婦問題の第一人者である吉見教授、安倍首相の発言に苦言 - 東京(AFP通信)
1991年12月、元従軍慰安婦だったという複数の韓国人女性が名乗り出て、過去を語り始めたのをきっかけに、吉見教授は、この問題に関係することとなった。教授は、防衛庁(現防衛省)の図書館に足を運び、2日間の調査で日本政府による従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠の書類を発見した。
吉見教授によれば、旧日本軍が前線部隊のために慰安所を設置する命令を下した関係書類を、偶然、発見したのは1980年だったと語る。
書類には、中国北部を占領する旧日本軍の参謀が、慰安所の設置を求める内容が記されてた。旧日本軍兵士が、中国女性に性的暴行を加え、現地住民の怒りを買うことを避けることが目的だったという。
「慰安婦の募集にあたり、女性への強制があったのは明らかであり、慰安所の設置を決定したのは日本政府だったのです」と、発見した資料の写真を手に取り、吉見教授は話す。「日本政府こそが首謀者であり、請け負った業者や中間業者は、政府の手先として働いただけ。しかし、その反対は絶対にあり得ない」と。
http://www.afpbb.com/article/1407058?lsc=1&lc=2
http://alcyone.seesaa.net/article/35763827.html
従軍慰安婦の創設者、岡村寧次大将の証言
慰安婦問題を考える。
昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。
(「岡村寧次大将資料」(上) P302〜P303)
http://alcyone.seesaa.net/article/35624181.html
日本の戦争責任資料センター
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo37.htm
従軍慰安婦の真相<解説編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman1.htm
従軍慰安婦の真相<陰謀編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman3.htm
従軍慰安婦の真相<検証編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman2.htm
1992年1月11日
旧日本軍の慰安所設置、慰安婦募集統制を示す資料が、
吉見義明・中央大教授により、防衛庁防衛研究所図書館で発見されたことを『朝日新聞』が報道
→ しかし、その資料は「軍と警察が協力して、違法な業者を取り締まる」という内容だった。
地道に調査を進める人々の努力により、奴隷狩りのような強制連行の事実はないことが明らかになると、
さすがに慰安婦問題を糾弾する人々の間でも、強制性の定義を修正せざるを得なくなってきた。
たとえば、糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、
次のように述べている。
その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、
慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはない・・・
たとえ本人が、自由意思でその道を選んだように見えるときでも、
実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。
引用元)「従軍慰安婦」 吉見義明 岩波新書 1995/4 103頁
「強制性」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女性たちも、
貧困や失業など何らかの「強制の結果」であり、国家が謝罪と補償をすべきだ、ということになってしまう。
さすがにこのような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずもなく、
国内の慰安婦問題に関する関心は急速に冷めていった。
吉見義明は従軍慰安婦問題の第一人者などではなく、吉田清治と同様の職業詐話師
↓吉見義明が防衛庁防衛研究所図書館で発見し、
↓「日本政府による従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠」と主張した文書
http://resistance333.web.fc2.com/html/kanyo.jpg
(以下現代語訳)
件名 『軍の慰安所従業婦等募集について』
副官より、中国北部方面軍、及び、中国中部派遣軍 参謀長宛の通牒案
日中戦争における慰安所設置の為、募集業者が慰安婦を募集する際、“日本軍の名義・権威を利用し、
その結果 日本軍の威信を傷つけ、庶民の誤解を招く事例”や“従軍記者、慰問者などを通じて、
不統制に募集し、社会問題を惹起する事例”や“慰安婦を募集する業者が相応しくない場合、
誘拐に類した方法を使い、警察の検挙・取調べを受ける事例”など注意を要する事例が少なくない。
将来、慰安婦の募集に関しては、派遣軍がこれを統制し、慰安婦募集業者の選定を周到・適切に行い、
慰安婦募集に際しては、関係地方の憲兵、警察当局と協力すること。
日本軍の威信保持、また社会問題上、遺漏のないよう十分配慮することを依命、通牒する。
1938年3月4日
「悪質な業者がおる、けしからんので軍と警察で協力してしっかり取り締まれ」
という通達です
一体どこが、日本軍が従軍慰安婦の強制連行に関与した証拠なんでしょうか?
脅迫状や脅迫電話の話はどこですか?
1さんへ 吉見氏=詐話士に同意します。
「関与」という言葉を悪用した卑劣なイメージ操作ですね。朝日等に載った記事を読んだ人の中には
それまでの文脈から自然と、「悪いほうの関与」と受け取った方も多いと思います。事実は全く逆なのに。
しかも明確に訂正・謝罪もせずに「広義の強制性」なんて言い出すなんて、吉見氏の神経を疑いますね。
>3氏
まったくです
その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、
慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはない・・・
たとえ本人が、自由意思でその道を選んだように見えるときでも、
実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。
引用元)「従軍慰安婦」 吉見義明 岩波新書 1995/4 103頁
これはもはや、「強制連行の証拠」など見つからなかった、と白状しているも同然ではないでしょうか?
>4氏
100%自由な職業選択の余地が無い→社会が悪い→政府が悪い→謝罪と賠償を。
全く呆れた論理ですね。これが通るなら日本だけでなく世界中の歴代政府は
ローマを初め中国や欧州・中東等の王朝、更には原始社会の族長等まで、
突っ込みどころ満載になってしまいますよ。
仮にも大学教授がこんな事言うなんて余りにも恥ずかしすぎる。
それ共、絶対にあった!と思い込んでいる・思い込みたいが、幾ら探しても証拠が無い
ので、無理矢理論を組み立てようとしているのでしょうか・・・?
証拠が無いなら、例え不本意でも「無かった」とするのが学術の徒だと思うのですが;;
証拠を証拠として認めない愛国主義者の脳に問題があると思います。
>>6
脅迫状や脅迫電話の話はどこですか?
あたりまえのことですが、脅迫されたらまず警察に被害届を提出しましょう。
子供が生まれたばかりの女性や結婚したばかりの女性まだ12歳にみたない女性らを無理やりトラックに乗せて銃を突きつけて強制的に連行したという話はほとんど8割がたの性奴隷とされた女性の発言で言われています。その数は数十万人におよび、そのすべての女性の自然な発言、調査員、調査対象すべてを偶然に配置して行った調査の結果、まったくほとんど異句同音に同じ結果がでており、これは信憑性がある。
もし、この調査をうそだというなら、そういう脳をもった人間は誰の言葉も受け付けないだろう。またそうした視点に立って発言していないと自ら認めるならば、自らを戒心することがよい。
日本陸軍は、無抵抗の人間を銃で脅し、一時間に平均して5人とも6人ともいわれる兵隊の性奴隷にした。軍医が週に一度性奴隷の性病の検診をして、兵士に性病の蔓延を防ぐこともした。その証言はどの性奴隷にされた女性の証言ともぴったりと一致している。このような一致を恣意的に作り上げることは不可能であり、結論はひとつである。
安倍首相は日本の恥であり、人類の恥部である。
いくら死の商人が儲かるからといって、また日本を軍国化させようとする妄想は美しい国とはいいがたい。
歴史を偽造する国、歴史を改ざんする国、恥部の国にするつもりなのか。
ネットウヨの発言は、金正日に通じる。拉致などはもう解決ずみだというあの厚顔無恥な恥部人間とまったく同格としかみれない。
従軍慰安婦の真相<解説編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman1.htm
従軍慰安婦の真相<陰謀編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman3.htm
従軍慰安婦の真相<検証編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman2.htm
金学順
1)1991年8月14日の記者会見での最初の証言
「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。
三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、
華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」
引用元)「ハンギョレ新聞」91年8月15日付
2)1991年12月16日、東京地裁に提出された訴状内容
1923年、中国東北(満州)の吉林省に生まれたが、生後まもなく父が死亡したので平壌へ戻った。
母は家政婦などをしていたが、貧困のため学順は小学校を四年で中退、金泰元の養女となり、
14歳から三年間キーセン(妓生)学校に通った。
注釈)キーセン=芸者・公娼の意味
1939年、「金儲けができる」と説得され、一歳上のエミ子とともに養父に連れられ中国へ渡った。
北京を経て鉄壁鎮という小集落で養父と別れて慰安所に入れられ、日本軍兵士のために性サービスを強要された。
軍医の検診があった。同じ年の秋、知り合った朝鮮人商人(趙元チャン)に頼んで脱出し、
各地を転々としたのち、上海で夫婦になった。
フランス租界で中国人相手の質屋をしながら生活、2人の子どもを得て終戦の翌年、韓国へ帰った。
朝鮮戦争中に夫は事故死、子も病死し、韓国中を転々としながら酒、タバコものむような生活を送った。
身寄りのない現在は政府から生活保護を受けている。
人生の不幸は、軍隊慰安婦を強いられたことから始まった。
日本政府は悪かったと認め、謝罪すべきである。
3)いつの間にか、「親に売られた」が「日本軍に連行された」に変更
金さんは旧満州(現中国東北地方)で生まれ、平壌で育ったが、
十七歳の時の春に、日本の軍人に強制的にトラックに乗せられ、中国大陸の前線に連れて行かれたと証言。
「その日から将校の相手をさせられ、抵抗するとけられた。
日に何十人もの兵隊が来て、そこにいると死ぬしかないと思った」と語った。
半年ほど後に逃走し、日本の敗戦後に韓国に帰国した。
引用元)共同通信(夕刊) 1997年12月16日付
従軍慰安婦の真相<解説編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman1.htm
従軍慰安婦の真相<陰謀編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman3.htm
従軍慰安婦の真相<検証編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman2.htm
黄錦周
1)高木健一著書「従軍慰安婦と戦後補償」(三一書房 1992年出版)に記載された証言
生活は貧しく、12歳の時100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、
その家の娘の身代わりとなって満州に連行され慰安婦となった
2)1995年7月24~27日(夕刊)に、朝日新聞に四回に渡って掲載された証言の矛盾点と嘘
1)1922年生まれと証言。しかし、彼女は過去に1927年生まれと称していた。
2)17歳(1938~39年)の時に、“国民徴用令”で軍事工場に動員され、慰安婦にさせられたと証言。
しかし、朝鮮で、国民徴用令がしかれたのは1944年であり、ありえない。
3)中国の吉林で軍の慰安婦にされたと証言。
しかし、吉林は戦場ではなく、公娼制度が導入された歓楽街。
わざわざ軍が慰安婦を設ける必要はない。
4)クリスマスの日は、一番客が多かったと証言。しかし、日本軍にクリスマスを祝う習慣はない。
参考)「戦争論2」 小林よしのり著書 幻冬舎出版 2001 第12章
3)1996年1月4日、国連・経済社会理事会クマラスワミ報告
17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、
未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工 場に働きに行くように命じました。
そのとき私は労働者として徴用されたのだと思い ました。
3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求 しました。
かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったので抵抗しまし た。私はまだ処女でした。
4)日韓社会科教育交流団韓国を訪問 1997夏期
京都福天草の根反核平和運動のwebサイト
http://www2.nkansai.ne.jp/users/peace/heiwanews%EF%BC%95.htm#1(リンク切れ)に記載されていた黄錦周の証言
満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。
5)1997年12月5日、元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会(福岡市都久志会館ホ−ル)での証言
1912年扶餘生まれ。父の発病後家運が傾き、13歳のとき家をでて、奉公に出ました。
村の班長(日本人)に「日本の軍需工場に行けば、お金がもうかる。
一家に一人 は行かなくては」と脅かされ、
奉公先の娘たちにかわって1941年、二十歳で国を離れましたが、ついた所は慰安所でした。
6)2001年5月17日、TBS「ここがヘンだよ日本人」で放送
私は19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ仕方なく慰安所に 行ったんだ!
7)2001年07月17日、黄錦周さんの証言を聞く会(東京大学にて)
14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。
つらい体験だった。
*証言の度に、内容はおろか、年齢や生まれた年まで変わっている。
従軍慰安婦の真相<解説編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman1.htm
従軍慰安婦の真相<陰謀編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman3.htm
従軍慰安婦の真相<検証編>
http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman2.htm
金順徳
1)2003年4月4日、高槻市立総合市民交流センターでの証言 http://www.geocities.co.jp/HiTeens/8268/6.html
「日帝時代、『準看護婦』として韓国から連れられた」
2)朝日新聞 asahi.com 2003年6月12日付
金順徳(キムスンドク)さんは1937年、17歳のとき、
「日本の工場で働く娘を募集している」という言葉にだまされ、中国・上海の慰安所に連れていかれた
*これも証言が矛盾。
ちなみに、内地(日本)の企業が朝鮮での求人活動が許可されたのは、国家総動員法が成立した1938年からである。
李容洙
1)2002年6月26日、赤旗で紹介されたプロフィール
韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、
拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、
「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。
2)2005年10月22日、三重で行われた講演会でのプロフィール
1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。
移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。
その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
*証言が矛盾。
また、1944年から3年間という事は、日本が敗れ、日本軍が解体した1945年以降も、慰安婦をやっていた事になる。
1995年9月、中国で開かれた北京女性大会で、韓国代表として慰安婦被害を訴えたチョン・ソウンの矛盾点
中央日報 2004年2月26日付
13歳のとき、インドネシアに連れて行かされ、
7年間にわたって日本軍の従軍慰安婦として生きなければならなかった「挺身隊おばあさん」チョン・ソウン氏が、
26日未明、慶尚南道鎮海(キョンサンナムド・チンヘ)の自宅で老患で亡くなった。80歳
チョン氏は、1995年9月、中国で開かれた北京女性大会に、韓国代表として堂々と出席、
全世界に向かって、日本軍の蛮行を知らせた人物だ。
*2004年に80歳で死亡という事は、1924年産まれ。
13歳から7年間インドネシアで慰安婦という事は、1937〜42年まで慰安婦だった事になる。
しかし、日本軍がインドネシアを占領していたのは、1942〜45年。
この女性は、日本がインドネシアを占領する以前から、インドネシアで慰安婦を行っていた事になる。
明らかにおかしい。
>9
以上の通り、
金学順、黄錦周、金順徳、李容洙、チョン・ソウン、といった代表的な自称慰安婦の証言はデタラメばかり
「まったくほとんど異句同音に同じ結果がでており」ということは、
つまり皆嘘吐きってことですね
ホンダ支援者の正体なんてこんなもの
民度の低い連中だ
相手にしたくないけど日本にチョッカイばかり出す
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