1.
死刑廃止に一票。
(未会員) 2006年12月28日 05時21分 ID:Bi693mybrk
殺人犯かって生まれたときから「人を殺したいぃ・・!」
なんて思いながら生まれてくるわけではないでしょう。
赤ん坊は生まれてきたときは真っ白なキャンパス。親や周囲の社会がそれに色づけするのですよ。
周りの人間の育て方によって暴力的に染められてしまった人間は人を殺めることでしか
幸福を感じられなかったり、
逆に美しくに染められた人はあなたたちのように社会に適応して幸せを感じながら生きてゆくことができる。
生まれたときは同じなのに、生まれた環境が悪かっただけで社会に適応できず犯罪者になったりする。
そんな不公平で刑務所に入れられて・・、よい心を持った人間に矯正して、
われわれが感じているような社会で生きる喜びを感じることができる人間に
成れるのならそれはすばらしいことですが、殺されてしまうなんて・・。
犯したことの責任云々の話ではないでしょう。責任を取れるのは私たちのようなしっかり教育を受けて、
善悪の判断がつく人間だけです。
18歳になったとたん責任が取れるようになるのですか?
例えば、少し極論ですが、狼に育てられた少女が人を殺めてしまっても責任を取るべきですか?
本人は狩のつもりかもしれませんよ。
そんな不公平許されるはずありません。
人間誰でも生まれたときから私たちと同じ種類の幸せを感じる権利があるべきです。
刑務所は罪を与えるだけではなく、矯正施設であってほしい。
もちろん罪の概念も大切ですが、罪と罰の制度だけでこの多様な人間社会を
コントロールするのはいかがなものでしょう。無理だと思います。
加害者側の人権確保の方法としての矯正。
被害者側の人権確保のため加害者への罰そして罪。
これらが釣り合ってはじめて理想的と呼べませんか?
そこで死刑というのはまさに極刑であって、極限の刑罰です。
数学の概念の「極限」とは、極限にいくら近づいてもかまわないが一致してはいけない。
死刑もそれと同じです。もし死刑となれば、
矯正という加害者の人権のためのシステムがまったく機能しないことになりますよ。
懲役300年はあってもいいと思いますが、死刑は決して許容できないと思います。
被害者や遺族は、復讐を刑法に求めるべきではありません。
私がもしこの世で一番大切な人を殺されたりすれば、加害者にこの手で復讐するかもしれませんし。
(物騒な話ですみませんが、本当にそう思います。)
法律はあくまで加害者被害者両方の人権を尊重すべき。死刑には何があっても反対です。
私も皆さんと同じく凶悪な犯罪者を見て、死刑にすればいいのに!と思うこともありますが、
感情は理性とは別であるべきです。
法律。すなはち、社会を律するもの、に関しては、
あまり感情的にならず、理性を駆使して考えませんか。
日本は死刑より軽く無期懲役などより重い刑罰を設けるべきだと思います。
なお、死刑が抑止力になるかに関してですが、
故宅間守死刑囚の挙動や、故意ではない殺人、一時的な感情の高まりによる殺人、
などを考えれば、あまり抑止力としては機能していないのでは?と、思ってしまいます。
さらに最後に付け足しますが、私は決して被害者の人権を軽視しろといってるのではありません。
また真っ白なキャンパスにつばを吐いた張本人が自分ではないか、
そんなことを他で自分はやってはいないか。
凶悪な事件の報道を聞くたびに批判するだけでなく、そういったことをよく考えて見れば、
日本はもっといい国になるかもしれませんね。
1.
(未会員) 2006年12月28日 09時09分 ID:9Z0VsLQZFI
>なお、死刑が抑止力になるかに関してですが、
故宅間守死刑囚の挙動や、故意ではない殺人、一時的な感情の高まりによる殺人、
などを考えれば、あまり抑止力としては機能していないのでは?と、思ってしまいます。
ここについては、新たな殺人者の発生については抑止力が少ないとは思いますが、少なくとも殺人者の再犯による被害の可能性を100%除去できる効果はあります。(大阪の姉妹殺人事件は、当時死刑にさえしておけば起こりえなかった事件です。)抑止力を論ずるときには、全く新たな犯罪の抑止と、再犯によるものとを分けて考える必要があり、どちらかにでも効果があれば、それは評価されるべきでしょう。
2.
sat4 2006年12月29日 13時03分 ID:nwngkIsP8g
聖書に「罪なき者のみ石持て打て」という言葉がありますね。
しかし、死刑(に限らず刑罰)はそういった概念で考えるものではないと思います。
「人が人を裁けるのか」「人が人を殺していいのか」という疑問は一見尤もそうですが、
「人が自らの社会秩序を維持すること」が必要なのであって、
その仕組みとして刑罰(=制裁)があると考えなくてはいけません。
確かに刑罰には、矯正と社会復帰を目的としている部分もありますが、
それが刑罰の主目的ではなく、(犯罪者の矯正も含めて)刑罰は「社会秩序の維持」を目的としていますよね。
(従って、被害者感情をはらすといった復讐の意味と捉えるのも間違いだと思います。)
そう考えると、死刑は、社会として(社会を正常に維持するために)、
その人間の矯正や社会復帰を断念せざるを得ない場合や死を持って償うよりないと認められる場合に
やむを得ず選択するよりない刑罰なのであって、
現実にそれに値する犯罪が起きている以上、必要な刑罰と評価せざるを得ないと私は思います。
死刑(に限らず刑罰一般)は、
加害者の人権とか、宗教観、人間としての感情などといった次元でその存廃を議論すべきものではなく、
社会秩序の維持のための必要性といった観点で議論すべきだと思います。
なお、蛇足ですが、責任能力がある限り(責任能力がなければそもそも罪に問われませんが)、
死刑囚は、捕まれば死刑になるであろう犯罪であることを承知の上で殺人等の凶悪な犯罪を犯した者である訳で、
死刑が不当に思い刑罰と主張するのは、こうした観点からしてもおかしな話だと思います。
3.
(未会員) 2006年12月30日 16時31分 ID:27MLuDPhCs
人を裁いているのは人ではなく法である
犯罪者を死刑に処すのもまた人ではなく法である
4.
(未会員) 2007年01月08日 04時03分 ID:jlYon5w4TY
死刑廃止の考え方の方には敬意を表します。ただ、現実として死刑制度はあったほうが良いです。
終身刑と軽く言いますが、凶悪犯のために限られた社会的リソースを無尽蔵に使って欲しくないですね。
こんどはまともな人間に生まれ変わってくれとでも願うほかないです。
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